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更新日:2021年2月24日
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氷見市では、標高の低い丘陵を流れる小河川が唯一の水源であったため、田や畑に使う水が絶対的に不足していました。水不足は深刻であり、人々は「水の反復利用」、「揚水ポンプによる水の汲み上げ」や「ため池をつくること」等により水不足と闘ってきました。
昭和25年に実施された調査によると、氷見郡内のため池の箇所数は3,274箇所あったことが報告されています。(表1)これによると全国的に見ても異常な高密度でため池が分布し、中には、平地に穴を掘って周りから滲み出る水を溜め、二人で桶に縄をつけて汲み出す皿池(替え池)と呼ばれるものもありました。
しかし、干天が続くと、真っ先に皿池(替え池)は乾いてしまい、水の争いが起こることもしばしばあったと言われています。
中でも、記録的な干ばつの年である昭和42年では、春の田植えが6割余り進んだ5月11日から6月24日まで、連続45日の干天が続き田の半分以上で地割れが発生しました。
昭和42年6月24日時点での水稲の被害面積は、
作付不能 4.7ha
枯渇寸前 227.5ha
用水不足 2,290.5ha
に及びました。また、
ため池枯渇数 883箇所
揚水ポンプ設置数 682箇所
ホース設置長さ 180,650m
にのぼり、その対策費用及び労力も膨大なものでした。
この記録的な大干ばつをきっかけに、水不足を解消したいという長年の夢を叶えるために人々が奮起し、国営事業が立ち上がり、水源を流域変更による他地域(1級河川 子撫川)に求めることとなりました。
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