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更新日:2022年10月31日
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ぼくは、まいにちよる8じにねます。おとうさん、おかあさん、いもうと、おとうともいっしょに、8じにねます。なぜ、かぞくみんなでおなじじかんにねるようになったかきになって、おかあさんにききました。
「どうしてぼくのいえではみんなおなじじかんにねるの。みんなのいえでは、おとなはおそいじかんにねるらしいよ。」
とききました。するとおかあさんがいいました。
「あなたがあかちゃんのとき、おとがきこえるとすぐにおきてしまうあかちゃんだったから、よるはかぞくぜんいんでいっしょにねてしまうようになったのだよ。」
といいました。ぼくはすこしはずかしいような、うれしいような、ふしぎなきもちになりました。
よるねるまえには、かぞくみんなでほんをよみます。ほんは、じぶんでよむのもたのしいですが、おとうさんやおかあさんによんでもらうと、もっとたのしいおはなしになります。
おとうさんとおかあさんでは、ほんのよみかたがちがいます。おなじものがたりでも、ちがうものがたりのようにかんじます。おとうさんは、ゆっくりとしずかによんでくれます。おかあさんは、ものがたりにでてくるひとになりきってげんきによんでくれます。
ぼくがおとうとやいもうとのためにえほんをよむひもあります。おんどくのれんしゅうにもなるし、おとうとやいもうとがよろこんでくれるのがとてもうれしいです。
かぞくみんなでねると、かぞくではなしをするじかんもふえるし、きょうのたのしかったことやがっこうのできごとをはなすこともできます。
ぼくはかぞくでほんをよんだり、おはなしをするじかんがだいすきです。これからもかぞくみんなですごすじかんを、たいせつにしていきたいです。
弟がうまれて、わたしはお姉ちゃんになりました。ずっと一人でさみしかったので、たい院して最初にあった時はうれしくて泣きました。おじいちゃんと神社で、
「赤ちゃんが元気に生まれてきますように。」
とおねがいをしていて、それが神様にとどいて願いがかなって、とてもうれしかったです。
弟は赤ちゃんなので、ほとんどねていました。最近になって、目を開けている時間がでてきて、さわったりわらいかけると弟もわらってくれるようになりました。そのえ顔がとてもかわいいです。なんでこんなにかわいいのだろうと思うくらいにかわいいです。パパがそれを見て、
「仕事に行けなくなる。」
と言います。わたしも同じ気持ちです。きっと赤ちゃんのえ顔は、パパやママやわたしをむ中にさせてはなれていかないようにするために、あんなにかわいくなるんじゃないかと思います。ムチムチの手足も、みんなにさわってもらうためにムチムチになっていたり、たまにいびきをかいたりしているのも、かわいい赤ちゃんがおやじみたいないびきをかいているとおもしろくてわらってしまうから、みんなをえ顔にさせるためにおもしろい部分があったりするのかなと思います。
そんなかわいい弟のまわりには、いつもみんなが集まります。もちろんわたしもその中の一人です。でも、たまにさみしく感じることもあります。弟がうまれるまでは、パパ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃんの目はわたしに向いていて、そのみんなの手は、わたしだけをなでてくれていました。でも今はちがいます。弟が泣いたらだっこして、かわいいえ顔を見のがさないように、みんなの目は弟にいきます。さみしいです。
「さみしいなぁ。」
と思いながらみんなを見ると、みんな弟を見ながらわらっています。そのえ顔を見ると、いつの間にかわたしもわらっています。さみしい時もあるけど、家族のえ顔の時間はふえたと思います。そんな弟に負けないくらい、わたしもみんなをえ顔にさせたいと思っています。かわいい弟はわたしの最強のライバルです。
「私、2学期からもう絶対学校には行かない。」
小学校4年生の夏休みが近づいたある日、私は母にそう宣言し、本当に学校に行くのをやめた。これは急に決めたことでない。ずっと考えていたことだった。
「学校に行きたくない。」小学校に入学したときから、私はそんな日が何度かあった。学校は私にとっては居心地がよくない場所だった。行かなければならないとわかっているけれど、そう思えば思うほど行きたくない気持ちが強くなった。
4年生になると、学校に行きたくない日が増えた。母には、「何時から学校に行くの?」「何時までなら学校に行くの?」と言われるが、私は1時間だって学校には行きたくなかった。毎日母と同じやり取りをするのにもううんざりした。疲れてしまった。そして私は、「学校に行かない宣言」を出したのだった。
母は、怒ると大変怖い。相当怒られるだろうと覚悟した。しかし、母は一言「分かった。」とだけ言った。意外にもすんなり受け入れてくれたのだ。
私の家は、両親が離婚しており、母と私、妹の3人家族だ。200メートル離れたところに祖父母の家がある。私が学校へ行かなくなっても、母は仕事に行かなければならない。そこで、私は多くの時間を祖父母の家で過ごすことになった。
学校に行かないことを、母は何も言わないが、祖父母には何か言われるかもしれない。説得されたり、責められたりするのではないか。初めのうちは不安だったが、2人とも何も言わなかった。
母は夏休みのうちに祖父母や伯母、スクールカウンセラーの先生などいろいろな人に相談し私の居場所を探した。私が通っていた空手教室の先生にも相談し、空手教室に通い続けることをすすめた。同じ学校の友達と会うのが気まずくて、やめたいと言う私に、「学校に行っていないからといって、自分の好きなことまでやめてほしくない。」と言ったのだ。これが、私にとってはとてもありがたいことだった。気まずさを感じたのはほんの数回で、すぐに気にならなくなった。友達も何も言わず、普通に接してくれた。練習に集中して体を動かす時間は、私にとって最高のリフレッシュになった。
学校に行かなくなって1年半が経った。私は母に言ってみた。
「また、学校に行ってみようかな。」
友達との会話をきっかけに、そんな気持ちになったのだ。母は、大喜びするだろうと思ったが、再び予想外の答えが返ってきた。
「まあ、行ってみて嫌なら、また行かなくてもいいからね。」
あっさりとした言い方に驚いた。でも、私は知っている。1年半の間に母が何度も泣いていたことを。だから、本当はそんなあっさりとした気持ちではなかったはずだ。私のことを思ってのことだったのだろう。母の温かさに感謝している。
久しぶりに行った学校は、なんだか楽しく感じられた。こうして、私の反抗期は終わった。
とはいえ、今でも母と言い合いになることは少なくない。それでも、私たち家族がばらばらになることはない。あの1年半の間に、私たちの絆の強さを実感したからだ。母は、どんな私でも受け入れてくれる。困ったときは絶対に助けてくれるし、やりたいことは全力で応援してくれる。私の、いや、私と妹の1番の味方だ。これからは、私も、母や妹にとってそういう存在でありたい。
図画・ポスターの部の受賞作品一覧は、以下のリンクからご覧いただけます。
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