安全・安心情報
更新日:2024年9月4日
ここから本文です。
富山県には多くの民俗芸能があります。これらの民俗芸能を保存継承していく目的で富山県民謡民舞連盟が組織されています。
保存会名 | 市町村 | 演目 | 設立年 | 加盟年 | 概要 | |
---|---|---|---|---|---|---|
越中五箇山麦屋節保存会 | 南砺市 (旧平村) |
麦屋節 | 1909 | 1952 | 麦や節は、歌いだしの「麦や菜種は二年で刈るに」からつけられた麦刈唄であり、黒の紋服・袴、白足袋という服装で、刀を差し、すげ笠を持って踊るものであり、哀調を帯びた古風な踊りである。起源は、平家落人伝説にまつわる作業唄とも云われている。 | |
富山県民謡越中八尾おわら保存会 | 富山市(旧八尾町) | 越中おわら | 1929 | 1952 | 1636年の前田利常公による八尾町建許可状を4代目米屋少兵衛の時代に返還を得た喜びの表れとして、道すがら唄い舞いつつ、三日間老若男女の区別なく町内を踊り廻ったのが始まりであり、三味線、胡弓、太鼓を伴奏とする街練りとなり、これが二百十日の厄日に豊饒を祈る風の盆に変わったと云われている。 | |
願念坊踊保存会 | 小矢部市 | 願念坊踊り唄 | 1915 | 1952 | 織田信長が大坂石山本願寺との11年の戦いの末に和を講じたことにより、信徒達は破れ衣にねじ鉢巻の異様な姿で狂喜乱舞して戦勝を祝い、その際に越中から助勢していた多数の信徒が当時の色々な踊りや芸を取得して帰郷し、伝えたと云う。一組男子6名で、ダシという二重傘を中心に踊るものである。 | |
下村加茂神社神事伝承会 (国重要無形民俗文化財) |
射水市(旧下村) | 加茂神社稚児舞 | 1909 | 1952 | 毎年9月4日の下村加茂神社秋祭りに奉奏されるもので、稚児選定式の後、約10日間の懸命な稽古が始まる。本祭の当日は、一切土を踏まず、村内の練行や拝殿から舞台への行ききも稚児担ぎの肩車に乗ってなされる。「鉾の舞」から始まり、「賀古の舞」など9曲を演じるものである。 | |
明日稚児舞保存会 (国重要無形民俗文化財) |
黒部市(宇奈月町) | 明日法福寺の稚児舞 | 1965 | 1965 | 宇奈月町明日の法福寺に伝承されており、毎年4月18日の「観音祭り」の際に奉納するものである。稚児は、1週間前からの稽古期間中は魚肉を食べない、土を踏まないように足駄を用いるという禁忌を今に伝えている。介添者に肩車されて舞台におもむき、「矛の舞」などを演じるものである。 | |
米道踊保存会 | 立山町 | 米道踊り唄 | 1921 | 1960 | 1569年、立山町池田城の落人、加野半右エ門は城主の嬰児を擁して米道村に難を避け百姓となった。唄や管弦に堪能な加野は、粗衣粗食の農民生活を励ますため、自分が池田城内で披露したことがある踊りを村人に教えたのが始まりと云う。甚句、おけま、追分、松坂で構成され、横一列に並んで踊るものである。 | |
魚津せり込み蝶六保存会 | 魚津市 | せり込み蝶六 | 1947 | 1952 | 600年程前、浄土真宗の念仏踊りとして越中に入り、善男善女を仏門に帰依させ、伝承されてきた。手踊りをはじめ扇・笠などを持って激しい音頭に合わせて踊る姿は、極楽蝶が舞うかの様であり、せり込みと蝶六が融合したような踊りからこのように呼ばれるようになった。 | |
越中五箇山こきりこ唄保存会 | 南砺市 (旧平村) |
こきりこ唄ほか | 1951 | 1952 | 筑子は、田楽から発生し、豊年満作を祈念して田祭り踊りとして起ったものであり、南北朝時代に吉野朝武士が毎年秋に白山宮前で慰霊祭(タママツリ)を行って、伝承されてきたものである。綾笠をかぶり狩衣衣裳で、板ササラを持って踊る放下僧の編木子踊りや、素手踊りの筑子盆踊りなどから成る。 | |
越中五箇山民謡保存会 | 南砺市(旧上平村) | といちんさほか | 1932 | 1952 | 「といちんさ」、「お小夜節」、「おっしゃか節」などは、祭礼の日などに若者が集まり男女交互に並んで手をつなぎ、問答形式の唄をうたって踊る、いわゆる「歌垣」の名残りであるという「まいまい」が原型と云われている。五箇山追分節は、牛方が牛の足並みと鈴の音に合わせて唄った牛追い唄である。 | |
新川古代神保存会 | 滑川市 | 新川古代神 | 1963 | 1965 | 「新保広大寺節」が船乗りなどにより伝播・流行し、この「コダイジン」の充て字の一つが「古代神」と云う。古大仁という僧が墓前で先祖の霊を迎えるため、提灯と松明を振りながら唄い踊ったのが始まりという言い伝えもある。手踊り、古代神、松坂、おわらの4種目で構成されている盆踊り唄である。 | |
越中源氏太鼓保存会 | 小矢部市 | 源氏太鼓 | 1945 | 1971 | 木曽義仲軍と平維盛軍の倶利加羅の戦いの折り、源氏軍の先鋒を承わった勇将蟹谷次郎が戦勝を寿ぐ酒宴を設けた時、配下の将卒が歓喜のあまり乱舞しながら相競って太鼓を打ち鳴らしたのが始まりと云う。以来、春秋の祭礼の折りに五穀豊穣、順風慈雨を祈る厄よけとして奉納するのが恒例となった。 | |
しばんば保存会 | 黒部市 | しばんば踊り | 1950 | 1977 | 生地の砂浜で製塩が行われていた時代に燃料の柴を刈り、運ぶときの仕事唄が「柴刈姥」と言われ、それがなまって「柴姥」と言われ、それに踊りがついたものと云う。後に、新川木綿の糸繰り唄になり、盆踊り唄となって継承され、えびす祭りの街流しの形で行われている。 | |
越中夜高太鼓保存会 | 南砺市 (旧福野町) |
越中夜高太鼓 | 1966 | 1977 | 1653年に氏神様として伊勢よりご分霊を迎えた折り、この行列が倶利加羅峠あたりにかかった頃日暮れとなり、これを知った町民が行燈を持ち太鼓を打ち鳴らしてお迎えしたのが始まりである。夜高行燈と共に継承されてきたこの夜高太鼓は、大バチ、小バチともに同じ大きさのバチを持って打ち鳴らすのが特徴である。 | |
越中城端麦屋節保存会 | 南砺市 (旧城端町) |
麦屋節ほか | 1925 | 1952 | 9月の城端別院善徳寺を主会場とした麦屋祭や街流しの時に、紋付き袴、帯刀、菅笠を持って、三味線、胡弓、尺八、太鼓などの伴奏で踊るものであり、海の韻律を持っている作業唄である。原型は、平家落人伝説にまつわる作業唄とも云われている。 | |
氷見網起し木遣り保存会 | 氷見市 | 網起こし木遣り | 1971 | 1980 | 木遣りは木を引き、材木を運搬し「がめかち」を打つときに唄われたものであるが、江戸末期、氷見浦一帯のマグロ・ブリ網を起こすときに唄われ、明治末、大敷網漁法による重い網を起こすのに威勢のいい木遣りが唄われた。夜明け時、重い定置網を漁師達が力を合わせて起こす一連の様子を男女の踊り手が表現している。 | |
高岡なき荷方節保存会 | 高岡市 | なき荷方節 | 1974 | 1980 | 「荷方節」は荷物を肩にし運搬する際の作業唄であり、なき荷方節は、金沢城完成の折り富山・高岡・金沢の人夫たちに前田公がお国自慢の民謡を所望したところ、富山は浄瑠璃を語り金沢は謡曲を歌ったが、高岡の人達は出し物を持たず、泣くような声で「荷方節」を歌ったところ賞賛されたことに由来すると云う。 | |
伏木帆柱起し祝唄保存会 | 高岡市 | 伏木帆柱起し祝唄 | 1967 | 1983 | 伏木港は1663年に幕府より全国13港の1つに指定され、江戸時代から明治・大正にかけて北前船で賑わったが、一枚帆の和船は、春秋2回の航海が終わると帆柱を倒して冬越しに入り、翌年3月の出航準備の時に航海の安全を祈り、鉦・太鼓を打ち鳴らし、音頭とりの唄で帆柱をたて、浜は独特の賑わいを呈していたと伝えられている。 | |
黒部市布施谷節保存会 | 黒部市 | 布施谷節 | 1978 | 1984 | 能登輪島から布施谷に漆掻きに来ていた人達が作業中に輪島節を唄い、布施谷の住民と生活を共にしているうちに親しまれるようになり、祝儀唄として伝わった。後に、新川木綿の産地として糸挽宿と称する作業場において、糸紡ぎ・糸ひきの作業唄として継承されてきた。 | |
吉原木遣り保存会 | 入善町 | 吉原木遣り | 1958 | 1989 | 北前船の乗員として活躍した吉原の若者達が移入したと伝えられており、嘉永年代に「恵比須祭り」の折り、若衆が当時の千石船(北前船)を象った屋形船を御座船として奉納し、御巡輿にかつぎまわる習慣となった。「柱おこし」を中心に、「かい節」、「あかとり節」で構成されている。 | |
熊野神社稚児舞保存会 (国重要無形民俗文化財) |
富山市 | 熊野神社稚児舞 | 1951 | 2024 |
毎年8月25日の熊野神社秋季例大祭で、拝殿の正面に舞台を設置し、7演目の稚児舞を奉納する。稚児は氏子から選ばれた大稚児2名、小稚児2名の計4名で、明日の法福寺の稚児舞、下村加茂神社の稚児舞と同様に稚児は入場から演舞終了まで土を踏まないこととされている。 |
お問い合わせ
関連情報
目的別情報
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください