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更新日:2021年4月27日
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富山県と長野県の2つの県にまたがる壮大な山岳観光ルートが、立山黒部アルペンルートです。毎年、その開通時から初夏には、天狗平と室堂との間で、雪の壁「雪の大谷」ができます。
この雪の壁は、多量の積雪をブルドーザーで除雪することでできるもので、その高さは、多い年には20mに達することもあります。
室堂一帯のなかでも、とりわけ積雪が深いのは、雪の大谷は吹きだまりで、降り積もるだけでなく風で運ばれてくる雪が多いためです。
立山雪の大谷ウオーク
全線開通後には、普段はバスしか通行できない「雪の大谷」を歩いて散策し、雪の壁の大迫力を間近で楽しむことができます。
また、室堂ターミナル前では、ロータリー除雪車「立山熊太郎」の実演も見られます。
平野部より雪解けの遅い山にも春がやってくると、山の斜面に残った雪は、人や動物などの形をつくります。斜面の模様には、残雪そのものが形をつくる白いものと、雪の解けた山肌が形をつくる黒いものがあります。この残雪の描く模様が雪形です。
富山県内では、雪形が現れる山をいくつも数えることができますが、立山連峰に連なる僧ケ岳と悲しい伝説の残る五箇山の人形山がよく知られています。
僧ケ岳(標高1,855m)の名前は、残雪でふちどられた山肌が、馬を引く僧の姿に見えるところからきています。元禄時代(1700年代)の俳人・句空が『越中大岩山紀行』の一文に「消え残った雪が大入道の形に見える」と書いています。
かつて、魚津や黒部の農民は雪形の変化を農耕の目安にしていました。僧ケ岳の雪を水源にしている魚津は、水不足が予想されると片貝川の毛勝谷の雪渓をけずって水量を増すようにし、黒部は耕作の目安にしていたそうです。
僧ヶ岳の雪形
雪形の説明図
※「富山平野から見られる越中の雪形 長井真隆」(富山市日本海文化研究所報第16号)より転記
アズマダチ住宅は、正面玄関側が大きな屋根の切妻造りで白色漆喰に格子状の柱が入った概観デザインを成し、主に天井部には太い梁が交差する枠の内工法で建てられています。砺波平野など呉西地区中心に3千軒以上あります。
散居村の各農家は周囲をカイニョと呼ばれる屋敷林に囲まれています。その形ができたのは、砺波平野の開拓が進んだ中世末から近世にかけてです。富山県の冬の主風は、南西の風であり、そのため家の南側と西側にカイニョが植えられる例が多く、また、樹種は柿や杉やケヤキなどの大きな樹木も多く、かつては、日々の燃料や家を建て替えるときの建築材料として使用されました。
砺波地方のアズマダチ住宅とカイニョ
冬の寒さをしのぎ、夏の強い日差しを避けるため大切に守り育てられてきましたが、昭和三十年代後半から防風効果に優れたアルミサッシや価格の安い外材など建築材の普及、電気、ガス、石油による生活様式の変化等により失われつつあります。このため、カイニョの景観を保全しようと、市民グループと行政が連携して保全活動に取り組んでいます。
入善町の裸放水
冬は、火の取扱いが増えることから火事が増える可能性が高いため、消防では冬の消防意識の普及と消防活動の広報として寒中放水を行っています。県内ではお正月に、富山市を始めとして各地で行われます。また、五箇山村等でも文化財防火のための寒中放水や消防訓練等が行われています。
11月下旬、県内は雷をともなう風雨になります。地鳴りのような雷の音を聞くと、誰もが本格的な冬の訪れを感じます。
これは「ブリ起こし」といわれ、ブリが富山湾に押し寄せ、氷見などの漁港はブリ漁に活気づきます。そして、この頃が脂ののった一番うまい時期にあたります。この「ブリ起こし」という言葉は、魚の美味しい富山の冬の訪れを実にうまく表していると言えるでしょう。
セリにかけられるブリ
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