とやま都市MIRAI計画
1 「とやま都市MIRAI計画」とは
県都富山市の玄関口である富山駅北地区において、鉄道跡地や運河舟だまりなどの遊休地を有効活用し、さらに民間活力の積極的な導入を図りながら、21世紀における富山県・富山市の産業・文化を先導するとともににぎわいと品格のある都市拠点を形成する計画です。
2 「とやま都市MIRAI計画」のコンセプト
M―Multi-functions(複合機能性)
I―Information(情報性)
R―Rising(成長性)
A―Amenity(快適性)
I―International(国際性)
3 新都市拠点の誕生までの歴史
- [明治・大正]暴れ川を治める
当時、神通川はまちのまん中、富山城の北で大きく蛇行しており、大雨のたびに溢れ、まちが水浸しになっていました。
明治34年から、県は大がかりな河川改修にとりかかり、洪水を流す放水路を建設しました。
大正年間には、水のほとんどが放水路を流れ、もとの本流は廃川地となり、まちの発展の妨げとなっていました。
- [昭和初期]富岩運河の誕生
昭年、近代的なまちづくりを目指し、県は3つの都市計画事業を決定し、事業を進めました。
- 富山駅から東岩瀬港まで5kmの運河を建設
- 運河を掘った土砂で神通川の廃川地を埋め立て、区画整理を実施(都心区画整理事業)
- 関連する7本の街路を整備
- [昭和後期]運河再生と「とやま都市MIRAI計画」の策定
昭和50年代後半になって県は、「とやま21世紀水公園神通川プラン」を策定することで、トラック輸送が中心となったことによる運河の埋立計画を見直し、まちなかの貴重な水面を活用する方針へ転換しました。
同じころ、富山駅北の旧国鉄用地をどのように活用するかが課題となっており、この用地を含む遊休地を「まちづくり」に活用していくこととしました。
そこで、昭和60年に建設省で創設された「新都市拠点整備事業」を導入し、21世紀に向けたまちづくり計画である「とやま都市MIRAI計画」を昭和63年度に策定しました。
- [平成]新都市拠点の誕生
「とやま都市MIRAI計画」に基づき「富山駅北土地区画整理事業」「富岩運河環水公園」等の都市基盤施設に加え、「富山県芸術文化ホール(オーバードホール)」等の公共公益施設、「タワー111」等の民間施設が計画的に整備されるなど、官民一体となって各種事業が進められた結果、県都富山市の玄関口にふさわしい新たな都市拠点が形成され、平成12年7月には主要事業の完成式が行われました。
主な事業及び施設
- 富山駅北土地区画整理事業
- 富山駅北線(ブールバール)
- 富山県富岩運河環水公園
- 親水広場
- 富山駅北口広場地下道・地下広場
関連ファイル