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更新日:2021年2月24日
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沿海地方の州都ウラジオストクは人口約60万人で、ハバロフスクやイルクーツクと並ぶ極東地域の代表都市であり、ロシアの東の玄関口です。革命戦士の像がある市中心部の中央広場では、様々な行事が開催されます。
中央広場に面して東西に走っているのが、ウラジオストクのメインストリート、スヴェトランスカヤ通りです。ウラジオストクが創設された1860年当初に建設された通りの一つであり、通り沿いには歴史を感じさせる古風な建物が連なっています。
市中心部、スヴェトランスカヤ通りとアレウーツカヤ通りが交差する交差点のかど(沿海地方政府本庁舎そば)にアルセーニエフ博物館があります。この博物館では沿海地方の地理、歴史、気候、風土など様々なことを知ることができます。
市中心部、アルセーニエフ博物館のそばに沿海地方政府(本庁舎)があります。ひときわ目を引く白く高いこの建物は「沿海地方のホワイトハウス」とも呼ばれています。
ウラジオストク鉄道駅は世界最長のシベリア鉄道の始発駅です。モスクワまでは約9,288キロで、直通列車では6泊7日の旅となります。駅舎自体が非常に趣のあるもので、スラブ風の建築様式からはロシアの歴史と伝統を感じることができます。
駅ホームには「偉大なシベリア鉄道の終着点。モスクワから9288キロ。」と刻まれた記念碑があります。鉄道駅に発着するのは、モスクワやハバロフスクなど、ロシア国内各地とウラジオストクを結ぶ長距離列車のほか、沿海地方内を走る近郊列車もあります。ホームへは自由に出入りでき、記念撮影をする人々もいます。
ウラジオストク鉄道駅から金角湾に向かうと「海の駅」(マルスコイ・バグザール)があります。ここは多くの船が発着する場所で、日本へ向かう船もあります。「海の駅」構内には、お土産屋、喫茶店などがあります。
ウラジオストクは日本と近距離にあり、古くから両地域の結びつきは強く、かつては日本人街があり、戦前は多くの日本人が暮らしていました。ウラジオストクには、日本の面影が数多く残っています。
19世紀後半、西本願寺がウラジオストクで布教活動を始め、1914年には、極東連邦大学の旧キャンパスそばに、浦潮本願寺が建てられ、1937年に閉鎖されるまで、日本人のコミュニティを形成する重要な場所として機能していました。現在、その跡地には記念碑が建てられています。
ウラジオストクはシベリア鉄道の始発駅で、かつて多くの日本人がウラジオストクからヨーロッパへ向けて旅立っていきました。与謝野晶子や二葉亭四迷らがヨーロッパへ渡るためウラジオストクからシベリア鉄道を使ったことは有名です。極東連邦大学の旧キャンパスそばには、与謝野晶子の記念碑がたてられています。
ウラジオストクに、1876年に日本国政府貿易事務所が設置され、1907年に領事館、1909年に総領事館に昇格しました。第2次世界大戦の終結まで使用された建物は、現在は沿海地方の裁判所となっています。
1920年頃には、6,000人もの日本人がウラジオストクに暮らしていたと言われます。ウラジオストクの中心地、スベトランスカヤ通りには、かつて横浜正金銀行の支店がありました。現在は、博物館となっていますが、当時の日本関係の資料も展示されています。
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