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更新日:2021年2月24日
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治水・利水文化|伝統産業|暮らしの中の水文化|とやま水マップ
とやま水マップ[治水・利水文化]|とやま水マップ[伝統産業]|とやま水マップ[暮らしの中の水文化]
黒部川の堤防は、短い堤防によって構成され、所々で二重に重なる霞堤になっています。洪水や氾らん防止のためこのような工夫がされています。
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
十二貫野用水は、今から約170年前の頃、天保の大飢饉が続く中加賀藩の命を受けた当時の先覚者「椎名道三」により、当時の技術の粋をあつめた工法で築かれました。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[黒部川左岸土地改良区](外部サイトへリンク)
愛本が扇頂の、黒部川扇状地の農地(約7,500ha)で利用される農業用水を取水する施設です。
[富山県農林水産部耕地課]
黒部川の水力電源開発は、大正時代から始まりました。
大規模な電源開発が必要とされた高度成長期の昭和31年7月、世紀の大工事、黒部ダムの建設が開始されました。
[関西電力 黒部川電気記念館](外部サイトへリンク)
愛本堰堤から取水した農業用水を活用し、黒東・黒西合口用水路内で6箇所の発電を行っています。
[北陸電力 電気ヒストリー](外部サイトへリンク)
→日本最古の水力発電による電気事業者 黒部川電力
加賀藩新田裁許椎名道三の設計施工による十二貫野用水の分流で、前大谷より栗寺台地のかんがいのための用水です。深い谷を越え向かいの峰に用水の水を通す技法はサイフォンの原理に基づいており、出口は龍の口から水を吹きだすのに似ていることから、この名が付きました。
[富山県農林水産部農林環境課]
日本一の高さを誇るアーチ式ダムが作るエメラルドグリーンの湖水は立山連峰や後立山連峰を映し、アルペンルートを訪れる 観光客に雄大な自然美を見せてくれます。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
円筒分水工は、円筒の分水工から水を流すことで、水を分けるものです。
[富山県農林水産部耕地課]
古田・鴨川用水と第3号幹線用水の分水を円筒分水で、公平かつ円滑に配水しています。
鉄筋コンクリート造りで分水量を円周長比例により分水します。
[富山県農林水産部耕地課]
明治の石造り堤防で、直立のような形(勾配が五厘)のため五厘堤と呼ばれています。
[土木学会中部支部](外部サイトへリンク)
早月川沿岸土地改良区が発案・計画し、農業用水を利用した発電所です。
[水力ドットコム](外部サイトへリンク)
上市川の沿岸域は豪雨時には水害、夏期には深刻な水不足に悩まされ、水争いが絶えませんでした。この分水場は、公平に水を分配するため、昭和26年に整備され、現在でも安定した用水の供給に貢献しています。地元では、先人の卓越した技術と熱意を後世に伝えるため、この施設の保存に努めています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[上市町役場](外部サイトへリンク)
安政5年(1858年)の飛越地震で源流の大鳶(おおとんび)山等が崩壊し、大土石流が富山市あたりまで襲ってきました。
[水の王国とやま]
かつて常願寺川は大山町馬瀬口地先で頻繁に決壊し、そのたびに富山城下が泥流の被害をこうむっていました。
[パレットとやま]かわの情報→常願寺川フィールドミュージアム(外部サイトへリンク)
オランダ人技師、ヨハネス・デ・レーケは、わが国の近代治水技術向上に大きな功績を残しました。
[パレットとやま]かわの情報→常願寺川フィールドミュージアム(外部サイトへリンク)
常願寺川では洪水で河床が削られるのを防ぎ、川の勾配を一定に保つため「床固工」が施されています。
[パレットとやま]かわの情報→常願寺川フィールドミュージアム(外部サイトへリンク)
常願寺川における砂防事業の紹介、防災情報などを提供しています。
[国土交通省地方整備局立山砂防事務所](外部サイトへリンク)
白岩砂防ダム等は、砂防施設としての機能とともに、歴史的・文化的にも価値があります。
[国土交通省砂防部](外部サイトへリンク)
デ・レーケにより、堤防決壊を防ぐために用水の「合口計画」がたてられました。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[パレットとやま]かわの情報→常願寺川フィールドミュージアム(外部サイトへリンク)
有峰発電計画は、大規模なもので世界銀行の借款で実現しました。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[北陸電力電気ヒストリー]→世界銀行借款で実現した常願寺川有峰発電計画(外部サイトへリンク)
明治32年、常願寺川の出水時に多量の砂石が流入したため、広田、針原、上江用水の分岐点に排砂する施設として赤レンガで設置され、「新庄の赤門」として親しまれています。
改修にあたっては、地域のシンボルとして、現況の形態を踏襲し、レンガ・タイル張りで改修を行い、親水広場の整備も行われ、地域住民のいこいの場となっています。
[水の王国とやま]
太田閘門は常願寺川から取水する常西用水にかかる取入工で、現在、常西用水は農業用水として使われ、周辺に農業用水を利用した発電所が4ヶ所あります。
[常願寺川フィールドミュージアム(パレットとやま)](外部サイトへリンク)
昔から常東・常西の取水関係について紛争が続いてきましたが、国営常願寺川農業水利改良事業により常西6、常東4の扇形比例分水槽により分水の公平が図られるようになりました。当時は技術的に東洋一の施設と言われていました。
[立山町役場](外部サイトへリンク)
大正3年の大洪水をきっかけに、蛇行していた部分を直線に河川改修しました。
[グッドラックとやま](PDF:3,504KB)
神通川からの最大の農業用水は、牛ケ首用水です。
[富山県民カレッジ](外部サイトへリンク)
明治32年、大久保用水の落差を利用して、富山県最初の発電所が建設されました。
[富山県民カレッジ](外部サイトへリンク)
富山空港は、全国で唯一河川敷にある空港です。
[富山空港](外部サイトへリンク)
中島閘門は、富岩運河の開削に合わせ昭和9年(1934)に設置され、上流に工場が誘致されたことから、資材を運ぶ船が往来するなど、富山市の発展に大きな役割を果たしました。
およそ2.5mの水位差を調節するパナマ運河方式で、ヨーロッパの中世から近代にかけて発達した技術を取り入れたものです。
[富山県デジタル文化財ミュージアム]
富岩運河環水公園は、富山駅北地区エリアの再開発事業である「とやま都市MIRAI計画」のシンボルゾーンとして水辺空間の豊かさを大切にしながら整備されている、親水文化公園です。富山の自然と富岩運河の歴史を活かしたこの公園は、地域の文化や未来を見つめ、創造するオアシスとなっています。
[富山県富岩運河環水公園](外部サイトへリンク)
庄川の流を1本にするため、また砺波平野を水害から安定させるため、長さ2kmにわたる堤防工事が行われました。
堤防をしっかりかためるために松の木が数百本植えられたことから、松川除と呼ばれるようになりました。
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
洪水被害を防ぐために新水路開削による小矢部川との河口分離を行いました。
[国土交通省河川局](外部サイトへリンク)
昭和初期、戦争の時代であったが、庄川で5基のダムが築造されました。
その中に、当時東洋一を誇った小牧ダムがあります。
[ダム便覧](外部サイトへリンク)
射水平野は海抜ゼロメートル地帯。イクリとは、土地改良事業による乾田化前の水郷地帯で農家が使った川船のことです。
[射水平野土地改良区](外部サイトへリンク)
この取入口は、赤岩付近に川倉(鳥足を連結させたもの)を組んで導水堰を設け、赤岩を中心に流れが直角に変わる自然立地(「銚子呑口」ともいう)を巧みに利用し導水しました。
この取入口は、通称「大水門」ともいい、明治31年(1898)の大改修後も度々補修されてきましたが、昭和14年(1939)合口ダムの完成により廃止されました。
[砺波市 生涯学習課](外部サイトへリンク)
庄川流域は、干ばつ時は灌漑水に欠乏し洪水時には破壊流出されるため、富山県は、昭和13年に灌漑と発電を行う多目的ダムとして庄川合口ダムの建設を計画し、14年の暮れに完成しました。
[富山県デジタル文化財ミュージアム]
下条地区一帯のかんがい用のため池として、約500年前に作られたものと伝えられています。
現在は、太閤山ニュータウンの中のオアシスとしても貴重な公園です。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[きららか射水観光NAVI](外部サイトへリンク)
地元住民と小・中学校児童の活動により、毎年ホタルが飛び交うようになりました。付近一帯は、県の天然記念物(ゲンジボタル等の生息地)に指定されています。
【平成18年4月「とやまの名水」に選定】
[高岡市役所](外部サイトへリンク)
刀利ダムは、かんがい用水と発電を目的としたアーチ式コンクリートダムです。
[ダム便覧](外部サイトへリンク)
桜ヶ池は、池のほとりに桜の木が多いことから、この名がつきました。
新緑や紅葉が美しく、コイ、フナなどの釣りが楽しめる水辺環境と、散居村の風景や富山湾まで一望できるこの池は、行楽地としてにぎわっています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[富山県農林水産部 森林政策課]
赤祖父のため池付近より取水し、管路により円筒分水工に通水されています。円筒分水工とは農業用水などを一定の割合で正確に分配するために用いられる利水施設です。
[南砺市役所](外部サイトへリンク)
前田利長は、高岡に城を築きました。設計者は高山右近と伝えられています。その城跡には、約67,000平方メートルの水壕があり、満々と水がたたえられ、四季折々の自然美を映しています。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[高岡市役所](外部サイトへリンク)
赤祖父川の水をせき止めてできた、かんがい用の貯水池です。
池の周辺では、山桜が見ごろのころ、ウグイスのさえずりと新緑の中でのゼンマイ、ワラビ採りを楽しむことができます。また、ヘラブナの好釣場として、太公望たちの間では有名です。
【昭和61年2月「とやまの名水」に選定】
[とやま観光ナビ](外部サイトへリンク)
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