更新日:2021年2月24日

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安土桃山時代の絵画

長い戦乱が終わって、復興する京都を中心に豪壮華麗な絵画が制作されました。県内に所蔵される安土桃山時代の作品を中心に見てみましょう。

長谷川等伯(1539~1610年)

能登国七尾の生まれの、桃山時代を代表する絵師です。染色業を営む長谷川宗清の養子となり、養父に雪舟流の絵を習いました。菩提寺・本延寺が法華宗であったので、法華関係の仏画や肖像画を手がけ、多くの仏画を残しています。能登時代の名は、信春又四郎で、高岡市・大法寺の絵曼荼羅にその署名を残しています。絵曼荼羅は26歳から28歳の作品。精緻華麗な筆致で、信春時代の最も美しい仏画です。
同じく信春印が押された富山市・妙伝寺蔵「鬼子母神十羅刹女像」は、妙伝寺第三世日敬が、元亀2年(1571)11月19日に開眼供養したことが記されています。元亀3年頃に上京したと考えられる信春の能登時代最末期の作品で、本作品によって、上洛の年の上限がわかることが貴重です。
京都では、法華関係の縁から京都・本法寺で仕事を始め、だんだんと花鳥画や風俗画、武家肖像画などに
手がける範囲をひろげ、その技量を認めさせてゆきました。利休をはじめとする堺の茶人たちとも交友をもち、大徳寺などでも描いています。また天正19年(1591)秀吉が建立した祥雲禅寺の障壁画制作で、息子久蔵とともに「桜楓図襖絵」(京都・智積院蔵 国宝)を描きました。桃山時代を代表する華麗な大作です。一方、水墨画の名手でもあり、「松林図屏風」(東京国立博物館蔵 国宝)を残しています。
画壇における当時の最大派閥である狩野派を圧する勢いでしたが、息子の早世によって、狩野派に指導的立場を譲ることになります。

紙本著色日蓮像(JPG:394KB)

4◎紙本著色日蓮像
一幅 大法寺蔵 長谷川等伯筆
<クリックで拡大>(JPG:394KB)

紙本著色鬼子母神十羅刹女像(JPG:322KB)

右上の子を抱くのが鬼子母神。もとは、人の子をさらって喰らう鬼女でしたが、仏法に帰依して、子供を守る神様になりました。左はその夫とされる散脂大将。下に十人の羅刹女を従えています。

5◎紙本著色鬼子母神十羅刹女像
一幅 大法寺蔵 永禄7年(1564) 長谷川等伯筆
<クリックで拡大>(JPG:322KB)

紙本著色三十番神像(JPG:321KB)

6◎紙本著色三十番神像
一幅 大法寺蔵 長谷川等伯筆
<クリックで拡大>(JPG:321KB)

紙本著色一塔両尊像(JPG:281KB)

3◎紙本著色一塔両尊像
一幅 大法寺蔵 長谷川等伯筆
<クリックで拡大>(JPG:281KB)

絹本著色日蓮聖人筆跡写(JPG:177KB)

7◎絹本著色日蓮聖人筆跡写
一幅 大法寺蔵 長谷川等伯筆
<クリックで拡大>(JPG:177KB)

洛中洛外図、遊楽図

戦乱が終わり、復興する京都の景観やそこに行われる遊楽を描いた華やかな絵画があります。応仁文明の乱によって荒廃した京都の復興にともなって登場した洛中洛外図もその一つです。金箔を貼った一双(2つで1セット)屏風に、平安時代以来の四季絵、月次絵、年中行事絵、名所絵が集大成され、「おもしろの花のみやこ」が絢爛と描かれています。

勝興寺本洛中洛外図屏風は、描かれた建物の建築年代からみれば慶長17~19年(1612~14)頃の制作です。一双そろった洛中洛外図屏風としては四番目に古く、そればかりではなく、慶長8年(1603)に修築された二条城、京中に寺地を得た本願寺を描く早い例として有名です。左隻には、長い戦乱の後に覇者となった徳川氏の権力の象徴である二条城、それに対峙するかのように、右隻には、慶長17年に豊臣秀頼が再興した方広寺大仏殿が描かれています。この構図は、以後定型となって、豪華な嫁入り道具あるいは京土産として制作されつづけます。
洛中洛外図は、室町時代以来、武家政権にふかくむすびついた狩野派がもっとも得意としたジャンルで、勝興寺本の作者も狩野孝信(1571~161817頁の系図参照)周辺の画人と目されています。この孝信の夫人・養秀院は、富山城主・佐々成政の娘です。

紙本金地著色洛中洛外図六曲屏風(上)(JPG:587KB)

紙本金地著色洛中洛外図六曲屏風(下)(JPG:581KB)

2◎ 紙本金地著色洛中洛外図六曲屏風
六曲屏風一双 勝興寺蔵 慶長17~19年(1612~14)

<各画像クリックで拡大(上(JPG:587KB))(下(JPG:581KB))>

北野社頭阿国歌舞伎図(JPG:346KB)

歌舞伎は、慶長8年(1603)に、出雲の阿国(おくに)という女性が北野神社に小屋がけして始めたのがその起こりと言われています。この屏風には、豊臣秀頼が北野神社を修築した際に、新たに設けた回廊と三光門が描かれているので、慶長12年(1607)以降の制作であることがわかります。

42◎ (紙本金地著色)
北野社頭阿国歌舞伎図
六曲一隻屏風 福野神明社蔵 17世紀初頭

<クリックで拡大>(JPG:346KB)

紙本著色野郎歌舞伎図・紙本著色婦女遊楽図六曲屏風(上)(JPG:323KB)

紙本著色野郎歌舞伎図・紙本著色婦女遊楽図六曲屏風(下)(JPG:294KB)

歌舞伎は男装の女性によって創始されましたが、寛永6年(1629)幕府はこれを禁じてしまいます。替わって登場したのが、少年たちの演じる若衆歌舞伎です。ところが、これも承応元年(1652)禁じられ、男性ばかりで演じられる野郎歌舞伎(やろうかぶき)が成立します。この屏風の一方には、その歌舞伎踊りが、一方には女性たちの邸内遊楽の姿が描かれています。遊びといいながら、士大夫のたしなむべき教養・琴棋書画(音楽、碁、書、絵)に見立てて描かれています。

1◎ 紙本著色野郎歌舞伎図・
紙本著色婦女遊楽図六曲屏風
六曲一双屏風 大津賀善允(東京国立博物館保管) 17世紀半ば

<各画像クリックで拡大(上(JPG:323KB))(下(JPG:294KB))>

お問い合わせ

所属課室:教育委員会生涯学習・文化財室 

〒930-8501 富山市新総曲輪1-7  県庁南別館4階   

電話番号:076-444-3434

ファックス番号:076-444-4434

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