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更新日:2021年2月24日
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富山県で、文化財として指定されている中世の絵画は、ほとんどが仏教絵画(仏画)です。宗教と関係のない世俗的な絵は、調度品として使われるため、傷むと新しいものととりかえられ、あまり古いものは残っていません。仏画は、大きく分ければ、礼拝像と説話画(8頁仏教説話画参照)にわけられます。
御堂や厨子(ずし)に安置されたり、追善供養などの法会や加持祈祷(かじきとう)、修法(しゅほう)を行うために作られるのが礼拝像です。本尊と呼ばれる場合もあります。単独で描かれるものもあれば、脇侍(わきじ)や童子を伴うもの、また曼荼羅(まんだら)のように、仏たちの住まう聖なる世界を幾何学的に描いたものもあります。
描かれている尊像が何かを知るために、まずその形に注目してみましょう。
仏菩薩は、わたしたち衆生を救うための誓い[誓願(せいがん)という]によって、持ち物や乗り物、[印相(いんそう)しぐさや指の組み方]が違うので、姿かたちのきまり[儀軌(ぎき)という]を知らないと名前がわかりません。けれど、大まかに如来、菩薩、明王、天とわけるとその基本の形は同じです。
涅槃図は、お釈迦さまが亡くなられたという2月15日に行われる涅槃会の本尊。お釈迦さまの入滅を大勢の弟子や動物たちまでもが嘆き悲しむ場面を描いています。時々とても珍しい動物が描かれていたりするので、動物好きの人は、その種類を数えてみても楽しい絵です。
沙羅双樹の下に横たわるのがお釈迦さま。阿那律(あなりつ)に導かれて、雲に乗って飛来するのが、お母さんの摩耶夫人(まやぶにん)。まわりでは大勢の弟子や動物、鬼までもがお釈迦さまの死を嘆き悲しんでいます。象も獅子も虎も羊も鷺も小鳥も虫たちさえも。
40○ 絹本著色仏涅槃図
一幅 中大浦集落蔵 南北朝時代
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37 38 39○ 絹本著色三千仏図
三幅 ※右から
帝龍寺蔵(過去仏図)
宝寿院蔵(現在仏図)
中大浦集落蔵(未来仏図)
室町時代
35 36○ 絹本著色両界曼荼羅図
二幅一対 千光寺蔵 鎌倉時代末
大日如来を中心としてさまざまなほとけが幾何学的に配置されています。八葉(はちよう)の蓮華を中心とするのが胎蔵界。九つの区画に区切られているのが金剛界。仏教的な宇宙の本質をあらわしています。
如来は、悟りをひらいた後の姿なので、腕輪などのアクセサリーをつけず、衣を身にまとうだけの姿で描かれます。穏やかで、感情をあらわにしない表情をしています。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来などがあります。
薬壷をもって、人々の病の苦しみを除くという薬師如来の姿が描かれています。来迎する姿に描かれる極めて珍しい図像(ずぞう)です。
33○ 絹本著色薬師如来立像
一幅 常福寺蔵 鎌倉時代
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菩薩は、出家する前の釈尊の姿を基本としているので、宝冠やきらびやかな装飾をつけた端正な姿で描かれます。中には馬頭観音菩薩像のように恐い顔のものもあります。「三人寄れば文殊の智恵」。仏の智慧をあらわす菩薩です。文殊は鎌倉時代らしいきりっとひきしまった表情をしています。
30○ 絹本著色騎獅文殊菩薩像
一幅 来迎寺蔵 鎌倉時代
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明王は、密教のほとけたち。手足や目がたくさんあったり、身体の色が赤や青で毒々しかったり。代表的なのは不動明王像。火焔を背にして、威嚇するような恐ろしい表情をしています。
明王と、矢をつがえたり、劔を構える神将の激しい動きに注目。
34○ 絹本著色大威徳明王図
一幅 千光寺蔵 南北朝時代
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恐ろしい図像は、怨敵を調伏する修法に使われたのかもしれません。不動明王の脇には二人の童子が描かれています。
32○ 絹本著色青不動
一幅 曼陀羅寺蔵 鎌倉時代末期
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天は、仏や仏の教え(仏法)を守護し、利益をもたらすほとけたちです。四天王や毘沙門天などのように、鎧兜に身をかためた武将の姿や、吉祥天、鬼子母神のように中国風の女性の姿に描かれます。(13頁の紙本著色鬼子母神十羅刹女像を参照)
羅漢は法を求める修業者たちです。祖師像は宗派の開祖の肖像で、祖師の忌日に行われる儀式で礼拝されたり、御影堂に安置されたりします。日本仏教の開祖としての聖徳太子像を初めとして、法然上人像、親鸞上人像、日蓮上人像、蓮如上人像などがあります。
53○ 絹本(著色)羅漢図
二幅 瑞龍寺蔵 明兆(1352~1431)筆
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正面向きの珍しい像。実在の人物の肖像画とはいえ、仏菩薩に準ずる扱いで描かれています。
64○ 絹本著色親鸞聖人像
一幅 勝興寺蔵 江戸時代初期
29○ 絹本著色聖徳太子孝養像図
一幅 横田力蔵 鎌倉時代
聖徳太子十三歳孝養の図。
難しいお経の内容や偉大な祖師の伝記をわかりやすく描いた絵。巻物もありますが、たくさんの人が見られるように、たいがいは[掛幅(かけふく)掛軸のこと]の形をとっています。
わかりやすく、とはいえ、お経の内容や伝記を知らないと、見ただけではわかりません。詳しい人に解説をしてもらう(絵解きをしてもらう)と、絵がいっそう楽しめる上に知識が得られます。
富山県には、聖徳太子の生涯を描いた絵伝や親鸞上人絵伝、蓮如上人絵伝、弘法大師行状図や一遍聖の絵伝などがあります。今も毎年、法会(ほうえ)で絵解きが行われているところがあり、婦負郡八尾町・本法寺の風入法要(法華経曼荼羅の絵解き)、東砺波郡井波町・瑞泉寺の太子伝会(聖徳太子絵伝の絵解き)や同郡城端町・善徳寺の虫干法会(蓮如上人絵伝の絵解き)などが有名です。
観経浄土変相図という絵にも、浄土のありさまを描いた中央の絵の縁にコマ割りのように説話が描かれています。
中世の絵は残っていませんが、立山曼荼羅も説話画の一つ。富山県立山博物館では、詳しい解説パネル付きで見ることができます。
宝塔が大地より沸き出て、虚空に浮かび、中から大音声が響きます。ほとけの教えの正しいことを証明するために出現したものです。そして塔がひらき、多宝仏と釈迦牟尼仏が並び座すというドラマチックな奇瑞が描かれています。
17○ 絹本著色法華経曼荼羅図
本法寺蔵 二十二幅のうち第十一軸見宝塔品 嘉暦2年(1327~28)
9○ 絹本著色法華経曼荼羅図
本法寺蔵
二十二幅のうち第三軸譬喩品
嘉暦元年(1326)
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人は、火がついて燃えている家(火宅)に居るのに、そのことに気付かず遊ぶ子どものようなものだ、と譬(たと)えられています。豪華な邸宅は、築地が崩れ、庭には恐ろしい動物たちや鬼の姿が描かれているます。子どもたちを連れ出すために、門の外に3つのおもちゃ(牛の車、羊の車、鹿の車)とそれよりもさらに上等の大きな牛の車が置かれています。このおもちゃは仏の教えの譬喩(ひゆ)です。
たとえ子供が砂遊びで作る塔のようであってもほとけへの供養になることの譬(たと)えが描かれています。上方に描かれる建築場面は、鎌倉時代の建築の在り方がうかがえて貴重です。大鋸(おおが)は使われておらず、木は割って、鑓鉋(やりがんな)で削っています。
8○ 絹本著色法華経曼荼羅図
本法寺蔵
二十二幅のうち第二軸方便品
嘉暦年間(1326~28)
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11○ 絹本著色法華経曼荼羅図
本法寺蔵
二十二幅のうち第五軸薬草喩品
嘉暦元年(1326)
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ここには、ほとけの教えが全世界を等しく潤(うるお)す様子が描かれています。稲光を発する雲の中には太鼓を叩く雷神がいます。雨はあまねく注ぎ、木や草はそれぞれの分に応じて成長する様子が描かれています。人々のまとう衣や笠は中国風ですが、鎌倉時代末期の農耕や村の在り方がうかがえるところもあります。鋤や牛を使っての田おこし、苗代で育てた稲の苗、田植え、刈り取りなどの農作業が描かれています。
豪華な獅子座に座った王のような姿は、出て行ってしまった一人息子を長年探し求める長者です。息子は、長い間、貧しい暮らしをしていたために、父であることに気付かず、恐れをなして逃げてしまいます。長者は息子を身近に雇い、全財産を譲ります。長者は、ほとけであり、豊かな財産はその教えの譬(たと)えです。
10○ 絹本著色法華経曼荼羅図
本法寺蔵
二十二幅のうち第四軸信解品
嘉暦元年(1326)
<クリックで拡大>(JPG:201KB)
31○ 絹本著色観経浄土変相図 一幅 曼陀羅寺蔵 鎌倉時代
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中央には阿弥陀三尊を中心に浄土のありさまが描かれています。まわりには、コマ割りのように、極楽浄土を観相する手段や悪逆の阿闍世(あじゃせ)太子とその母韋提希夫人(いだいけぶにん)の物語が描かれています。
絹本著色立山曼荼羅吉祥坊本 四幅対 個人蔵 19世紀前半
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佐伯有頼が射た熊は実は阿弥陀如来であった、という立山開山縁起から、立山にあるという地獄極楽や布橋灌頂会が描かれています。御師(おし)と呼ばれる人たちが、農閑期にこの絵をもって、北陸のみならず遠くは関東や愛知まで出向いて絵解きし、夏の立山登山を勧誘したものです。
62□ 絹本著色親鸞聖人伝絵
四幅対のうち第四幅 勝興寺蔵 永正16年(1519)
浄土真宗の宗祖・親鸞上人(1173~1262)の生涯を描いた絵です。四幅が対になっており、各場面を霞で区切って下から積み上げるように描いてあります。
99□ 絹本著色聖徳太子伝絵
四幅対のうち第一幅 善徳寺蔵 江戸時代初期
聖徳太子の生涯が生誕から順をおって描かれています。生誕の場面には、馬が描かれ厩舎の入り口であることがわかります。厩戸皇子(うまやどのおうじ)とよばれるゆえんです。
95□ 絹本著色二河白道図
一幅 善徳寺蔵
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