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更新日:2024年4月16日
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氷河期が終わり暖かくなると海面が上昇し、森林が広がりました。今からおよそ16,500年前~2,400年前の狩猟・採集を基本とする定住生活をしていた時代を縄文時代と呼びます。
縄文人は地面を掘りくぼめた竪穴(たてあな)住居を作り、集落を形成しました。弓矢と犬を使ってイノシシやシカなどの狩りをおこない、魚や貝をとり、クリ・クルミ・ドングリなどの木の実を採集して主食にしていました。
縄文時代は、粘土で形を作り焼き上げた土器(縄文土器)が発明された時代でもあります。縄文土器のおかげで肉や魚、木の実などの食べ物の煮炊きや保存ができるようになり、食生活が豊かになりました。
縄文土器・深鉢(朝日町境A遺跡) |
この縄文土器は、富山市埋蔵文化財センターのホームページのトップに載っている土器ね。とても華やかでステキ!ファンも多いみたいね。 |
あれ?「縄を押しつけたような跡があるから縄文土器といいます。」って教科書に書いてあったけど、この土器はとても複雑な文様だよね。これ、本当に縄文土器なの? |
確かに、この時代の土器は縄目の文様が付けられたものが多いから、「縄文土器」と名付けられたのじゃ。しかし実際には縄だけでなく、貝や棒、粘土の貼り付けや自分の爪など、さまざまな方法で模様を描いておるのじゃ。 また、縄文時代は一万年以上続くから、時期によって形や文様もどんどん変わるから、バラエティ豊かななのじゃ。これも、縄文土器の特徴じゃな。 |
早期 | 前期 | 中期 | 後期 | 晩期 |
深鉢(富山市直坂遺跡) | 深鉢(射水市南太閤山I(いち)遺跡) | 台付鉢(砺波市松原遺跡) | 注口土器(南砺市井口遺跡) | 深鉢(射水市中山中遺跡 |
こんな形の縄文土器もあるぞ。(全て朝日町境A遺跡出土)
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もっと詳しく知りたい人は、「境A遺跡出土品」のページも見てね。 |
土偶(富山市長山遺跡) |
土偶とは、縄文時代につくられていた土の人形じゃ。女性の姿をかたどったものだといわれておる。 土偶からは、当時の人たちの服装や髪形などがわかるのじゃ。 長山遺跡から出土したこの土偶には、おさげ髪のようなものが付いておる。富山県の縄文人の女の子は、おさげ髪がはやっていたのかもしれないのう。 |
あいの風とやま鉄道・呉羽駅の北東にある、日本海側最大級の貝塚です。北陸新幹線建設に先立って行われた発掘調査で、今から約6,000年前(縄文時代前期)の埋葬人骨が91体も出土し、全国的に注目を集めました。このほかにも縄文土器、石器、木製品、骨角器、シジミ貝など、いろいろな種類の出土品がたくさん見つかり、縄文人のくらしぶりがよくわかります。
出土した人骨と、そこから復顔した約6000年前の小竹人の顔 |
もっと詳しく知りたい人は、「小竹貝塚」のページも見てね。
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