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更新日:2024年3月22日
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16世紀末から17世紀にかけての織田信長(おだのぶなが)から豊臣秀吉(とよとみひでよし)による天下統一、徳川家康(とくがわいえやす)による江戸幕府の始まりから1867年(19世紀)の大政奉還(たいせいほうかん)までの300年間ほどの時代で、近世(きんせい)とも呼びます。武士による乱世が終わり、江戸幕府と全国各地の藩が土地と人々を統治する幕藩(ばくはん)体制が確立しました。政治の安定は、新田開発による農業生産の向上、商工業の発達、交通の整備などをもたらし、経済が著しく発達しました。各藩が奨励したこともあり、各地でさまざまな特産品や地場産業が生まれました。特に江戸幕府は外国とのつながりを制限したため、日本独自の文化が発達しました。
加賀藩主前田家墓所(高岡市、国指定史跡) |
越中国はもともと加賀藩の一部だったのじゃ。1639年に分藩し、富山藩10万石を置いたのじゃよ。 |
江戸時代になると、硬く透明釉(とうめいゆう)のかかった磁器が焼かれるようになります。肥前(ひぜん、現在の佐賀県)の伊万里焼(いまりやき)などが有名です。これらの焼き物は水を通さないのでまたたく間に普及し、県内でも多くの遺跡から出土します。
磁器(南砺市梅原胡摩堂遺跡) |
現代で使っているご飯茶わんと、ほとんど同じね。 |
越中瀬戸焼は16世紀後半にに、尾張(愛知県)からから招かれた職人が作り始めた陶器です。職人を招いた武将は諸説ありますが、加賀前田家2代・前田利長の支援があって、越中を代表する焼物となりました。
越中瀬戸・皿(南砺市梅原胡摩堂遺跡) |
明治時代に入って交通網が整備されると、安価な瀬戸焼などに押されてすたれてしまったそうだよ。残念だね。 |
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