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更新日:2021年2月24日
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春の雪解け水を集める山合川(さんごうがわ)
[作成:平成22年4月]
森で育まれた「水」は、大切に使われてきました。ため池を作り、貴重な水を少しずつ無駄なく使い、農地を潤すだけではなく、水辺に棲む水生動物や昆虫をも潤しています。
高山植物
「棚山西池」
昭和3年の発足以来、今日まで80年以上にわたり、北アルプス朝日岳を中心としたふるさとの山を守ってきたのが「大連華山保勝会」です。朝日岳は、比較的人の住む地域の近くにありながら、高山植物の宝庫としてその姿をとどめているのは、日々の努力の賜物です。これらの森を育む活動は、清流を生み出す源となり、大切な「水」をつくりだしているのです。
水を含めた「共有の財産は皆で守る」の基本理念が受け継がれていて、ふだんの維持管理や軽微な修繕等は自ら行い、常に良好な状態で管理されています。
春の雪解け水を集める山合川(さんごうがわ)
食彩あさひ収穫感謝まつり
水稲を中心とした農作物は、整備された用水路を流れる「澄みきった冷たい水」によって育まれ、農家の生活を支えています。
殿町(とのまち)町内の用排水路で平成20、21年の2年にわたり、田んぼの生き物調べを実施。細野地区等でも用水路に生息する生き物の調査を行い、豊かな自然が継承されている事を後世に伝える活動を続けています。
田んぼの生き物調べ
7年に1度の練り歩き「山崎米吊り」
山崎地区にある吉祥院の創建は723年(奈良時代)と伝えられています。その後、廃寺となりましたが、秀恵上人が土中より仏像を発見し、1625年(江戸時代)に吉祥院を建立しました。上人は村のために様々な事業をおこなったため、村民はそれを感謝し、再建後7年ごとの秋に行われる秘仏開扉日には、村をあげての法祭が営まれました。収穫期であることから村民が御酒、米、野菜を献上奉納したのが「米吊」のはじまりです。
法祭が近くなると山崎村各地区では、笛太鼓にあわせた願念坊主踊りの露払いを先頭に、酒樽、米俵、長持(野菜)の行列が、音頭取りの唄う米吊唄を囃しながら、ドッコイドッコイと3歩前進2歩後退の練り歩きをし、わずかな道程を半日がかりで吉祥院へ運び込みます。また沿道や休息時には餅つき臼に御酒がなみなみと満たされ、吊り方衆はもちろん見物客も自由に柄杓で酒が飲めるように用意されています。
今日のような形の米吊り行事になったのは辻用水が完成し、現在の県道黒部朝日公園線ができた明治以降と思われます。一時休止されていましたが、昭和42年10月24日辻岩崎地区が復活させ、以後数少ない山崎地区の貴重な民俗芸能として見直され、数々の催しに出演して伝承保存につとめています。
山崎米吊り
人々の信仰をあつめる子宝の湯「小川温泉」
江戸時代のはじめの頃(1626年)のある夜、山崎村に住む青島武左衛門の夢枕に薬師如来が現われ、「布施谷の湯を小川へ移す」とお告げになりました。しばらくして、山崎村の吉祥院の上人も同じ夢を見て、小川の上流をたずねてみたところ、大きな岩の間からこんこんと湧き出るお湯を見つけました。霊験あらたかなこのお湯は、やがて近在に広く知られることとなり、江戸時代の半ばには、越中四名湯のひとつとして数えられるまでになりました。
現在でも豊富な湯量にささえられ、加水、加温をしない100%掛け流し天然温泉として県内
小川温泉
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