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更新日:2021年2月24日
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民家は、農家と町屋に大別できます。
【農家】
土地の制約が少ないため、各地域に適応したさまざまな形態をしており、地方色があります。共通点として作業空間、居住空間をあわせもつことです。
【町屋】
道路に面して間口が狭く奥行きが長い屋敷地で、「通り庭」と呼ばれる奥に抜ける細長い土間を持つものが通例です。
ヒロマを中心とした間取りと構造に特徴があります。ヒロマの周辺に配された部屋の種類と配列によって特徴づけられます。町屋・漁家と農家とではかなり異なっています。また、武家住宅や上層農家は、独自の間取りを持つものもあります。
氷見地方や五箇山地方の民家では「田の字型」、その他はヒロマを中心にニワ、ザシキとこれらに付属する部屋からなる「ヒロマ型」です。屋根構造にも地方差があり、五箇山の合掌造りは切妻造りの大屋根で、砺波地方は寄棟造り、その他の地方は入母屋の屋根が一般的です。
明治時代末期以降、茅葺きから瓦葺屋根へ変えられ、県東部では切妻造り平入りにした「マエナガレ型」、県西部では切妻造り妻入りにした「アズマダチ型」へと変化していきました。
玄関を入ると通りニワが奥まで続き、これに沿って、ミセ、ヒロマ、ザシキが並び、中庭を隔てて土蔵が造られる。屋根は通りに向かって傾斜し、平入りです。
文政11年(1828)に建てられた母屋は寄棟造り茅葺きの平入り。式台をあがると太い梁で組んだヒロマがある。その左手は来客用のザシキ、右手は役所の仕事場にあてられ、奥は居住空間となっている。元禄6年(1693)に当主は山林の取り締まりと立山黒部一帯の監視役を勤めたため、山廻りの役所も兼ね備えた家がまえとなった。
明和4年(1767)に現地に移築されたもので、母屋は入母屋造り茅葺きの平入り。桁行10間、奥行7間の規模である。県内の平野部にある農家の中では最も古く、また、オロシをつけて家の後方を拡張した特徴を最もよく表し、富山県の民家の代表的なものである。
※オロシ…母屋の後へ差し掛けた小屋根のことで、部屋を拡張する手段として用いられる。
散居村の砺波平野にあり、屋敷林を備えた大規模民家である。現在の建物は嘉永6年(1853)に建築されたもの。当初屋根は茅葺きであったが、大正11年の改造で現在の「アズマダチ」に改造された。母屋は切妻造り桟瓦葺きの妻入りで、正面に三角形の大きな妻をみせるアズマダチの外観を呈する。ヒロマ等の太い柱は幅のある差物で結ばれ、上部には化粧梁を十字に組んだ「ワクノウチ」と呼ばれる堅固な軸組構造がみられる。
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