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更新日:2021年2月24日
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いなさくのでんぱん
九州北部の玄界灘沿岸地域に大陸から水稲農耕が伝わったのは紀元前3世紀ごろで,またたくまに西日本に広がりました。考古学では「遠賀川式土器(おんががわしきどき)」と呼ばれる弥生時代前期の土器の分布によって,その事実を確認することができますが,近年の発掘調査では日本海側の山形県や青森県の遺跡でも出土が報告されています。富山県では高岡市の石塚遺跡と上市町の中小泉遺跡で出土しています。水稲農耕には稲作技術そのものとそれに使用する石庖丁・太型蛤刃石斧などの道具が含まれ,さらにアワなどの雑穀栽培技術も同時に伝わつてきました。
弥生時代の水田は全国で20箇所以上の遺跡で確認されています。富山県では水田そのものの発見はありませんが,立山町の中小泉遺跡では水路に設けられた流路調整のための「しがらみ」が発掘されており,さらに木製農耕具がたくさんみつかっていることから付近での水田の存在が確実です。
石包丁の使い方
しがらみ(中小泉遺跡)
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