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更新日:2021年2月24日
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ちゅうせいのそんらく
平安時代の中頃から律令体制の崩壊とともに耕地の私有化が進み、農地であった条里(じょうり)地割りの中に農民の住居が建てられるようになりました。同時に扇状地の扇央部や扇端部の微高地などが積極的に開発されるようになり、l2世紀頃に突如として現れる集落遺跡が多いことから、この頃に大規模な開発がなされたと考えられます。
福光町の梅原胡魔堂(うめはらごまどう)遺跡はl2世紀から17世紀にかけて、砺波平野の開発に携わった農村の集落遺跡です。発掘調査では、中世前期に属する4間×9間の総柱(そうばしら)の掘立柱建物跡がみつかり、規模の大きさから村落の領主クラスの住まいと想定されています。
小矢部市の日の宮遺跡では多くの井戸跡が発掘されました。多くは直径lm、深さ3~4mの円筒形をした素掘りのものでした。婦中町の友坂(ともさか)遺跡では、井戸の汲上口に木製の方形枠が組まれて、内部に木製の井筒(いづつ)を据えたものや、井戸の内部を石で組んで固めた石組井戸などが発掘されています。これらの井戸の中からは漆器などの生活道具がみつかっており、井戸をめぐる集落の生活の一端を垣間みることができます。
梅原胡摩堂遺跡
(左)石臼 (右)木臼
木製方形枠の井戸(井口城跡) 石組みの井戸(友坂遺跡)
村落の景観
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