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更新日:2021年2月24日
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ぶしのやかた
武家が幕府をつくって政治を行った13世紀から16世紀の鎌倉時代と室町時代を中世といいます。地方でも武士団を統率する有力な豪族などが、それまでにはみられない大規模な構造の居館を構えました。
福野町の寺家新屋敷館跡(じけあらやしきたちあと)はl4世紀(南北朝)につくられた武士の居館です。南北約62m、東西約80m、深さ2.5mの四角い堀に囲まれ、内側には堀の上げ土を積み上げた土塁(どるい)が築かれていました。
井口村の井口城跡(いのくちじょうせき)の発掘調査では、l2世紀から16世紀にかけての遺物と堀や井戸などの遺構がみつかりました。全体の規模は約90m四方の方形の郭(くるわ)に出丸がついたものとみられます.漆器、曲物(まげもの)、箸(はし)、折敷(おしき)、櫛、下駄などの生活道具が出土しています。
上市町の弓庄城跡(ゆみしょうじょうせき)は16世紀に土肥氏(どいし)が拠点とした城跡です。城郭の規模は、南北約600mと細長くのび、本丸、二の丸、三の丸が堀によって区画されていました。発掘によって甲冑(かっちゅう)や将棋の駒などさまざまな遺物と数多くの掘立柱建物が確認されました。
婦中町の安田城跡(やすだじょうせき)(国指定史跡)はl6世紀後半の平城で、堀と土塁からなる三つの郭で構成されています。現在、史跡公園として往時の姿への復元が進められています。
*「堀と土塁」
中世の城郭にはたいていの場合、堀と土塁が設けられています。これはもちろん防御の目的で造られたものですが、日本では弥生時代の中期にはすでに集落の周囲に設けられたものがあります。外側で堀を掘り上げて土塁を築きました。
(左上)木舟城跡(福岡町石黒氏の居城:県指定史跡)
(左中)弓庄城跡(上市町土肥氏の居城)
(右上)井口城跡(井口村12~16世紀の城跡)
(下)寺家新屋敷館跡(福野町南北朝時代)
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