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更新日:2023年3月14日
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さいこのひとびとのくらし
旧石器人の生活の様子
現在までのところ、富山県で確認されている最も古い人問活動の証拠は約3万年前に作られ使用された石器です。城端町から福光町にまたがる立野ケ原丘陵から発見されています.これはナイフ形石器という切る、突く、削る万能の道具です。日本で最古のものは宮城県の馬場壇A遺跡や中峰C遺跡(*1)から出土した石器で、立野ケ原の石器よりも粗雑なもので、ずつと古く約20万年前までさかのぼると考えられています。
このような時代はまだ土器がなく、石器だけしか発見されていません.考古学で旧石器時代と呼んでいます。地質学の時代区分では第四期更新世、いわゆる氷河時代で、気温が低いため、海水が氷となつて減り、海面が今より120mも低い時もあり、大陸と陸統きの時代があったと考えられます。それでその頃、人や動物がかなり自由に往来していたと考えられています。
旧石器時代の人々は、今は絶滅してしまったナウマンゾウやマンモスなどの大型哺乳動物を狩猟し、その肉を食料とし、皮や骨を加工して道臭として使用しました.当時の住居については確実な発掘調査例は非常に少ないのですが、大阪府はさみ山遺跡や広島県西ガガラ遺跡などの例を参考にすると、直径5~6mの円形をしたテント状の構造が考えられます。
(*1)現在は,同じく宮城県築館町の上高森遺跡,高森遺跡や福島県二本松市の原セ笠張遺跡が最古で,およそ60万年から40万年前とされている。(971020)
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