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更新日:2021年2月24日
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じょうもんどきのしゅつげん
縄文土器は約l万年前、またたくまに日本列島に広がり、約8千年の間作り続けられます。粘土をこね、野焼きして化学変化をおこし、固くて丈夫な耐熱・耐水の器を作りあげることにより、縄文人の生活は大きく変化しました。以前までの調理は「焼く」ことでしたが、土器の出現により「煮る」ことができるようになり、可食植物が増加しました。
縄文土器の変遷をたどると早期では深鉢形土器のみで表面の文様も簡素なものでしたが、前期には浅鉢形土器が加わり中期には豪華な装飾が施されるようになり、さらに釣手のついた土器なども登場しました。後期・晩期になると新たに壷や注口土器が作られるょうになり、器面が磨きあげられるなど手のこんだものとなりました。時期の変遷とともに土器が多様な機能を持つようになったことがわかります。
富山県では多くの縄文遺跡があり魚津市桜峠遺跡で早期の回転押型文の施された底の尖った尖底土器が、宇奈月町の愛本新遺跡では口唇にヤモリが形どられた深鉢型土器が、井口村の井口遺跡ではイノシシを形どった注口土器などが発掘されています。
朝日貝塚から出土したバスケット土器(高さ37.4cm)
大光寺遺跡から出土した火炎土器(高さ21cm)
桜町遺跡から出土した胞衣壺(えなつぼ)
井口遺跡から出土した注口土器(高さ18cm)
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