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更新日:2021年7月5日
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古洞ダム全景
古洞ダム建設工事中
[古洞ダム]
呉羽丘陵から、射水市(旧小杉)、富山市婦中町にわたる山すその水田、畑、樹園地(約800ha)で利用される農業用水を貯溜するためのダムです。周囲は「県民公園野鳥の園」に指定されており、自然の豊かな中にあります。
呉羽射水丘陵地は農地が30%、山林が40%と、山地が多いため、池が多く、土地が肥沃ではありませんでした。しかし住民の努力により、悪田は美田へ、山林は畑へ、畑は水田へ変化してきました。古洞池は富山市三熊の南方の山中にあり、周囲4kmにわたる東西の山は高く、谷は深く、南北に長い地形です。その地形を活かし、短い堤防だけでも湛水量は多く、旧池多村の主要水源地(中老田、二俣、白石も灌漑に活用)でしたが、水が涸れたことはありませんでした。山の風景はとても美しく、晩秋には、鴨類が数万羽も飛来し、県下でも名だたる鴨猟の名所でした。
また三熊の古洞池より発する鍛冶川は、平野の中程を貫流しています。川の西部には土代、山本新、椎土にわたる平地が、東部には西押川、北押川の平地があります。しかしこのような広い平野を潤すほどの灌漑用水に恵まれませんでした。そこで旧池多村に40ヶ所あまりのため池を築造しました。
古洞池は安政6年に堤防の決壊により大洪水となり、下流集落に甚大な被害を及ぼしました。修繕作業には、約3,500人の人力をもって9年間を費やし、明治元年に修復が完成しました。当時としては大工事であったと推察されます。しかしその後、明治12年、さらに昭和3年12月11日に決壊しました。昭和4年6月29日に工事に着手し、4年間の歳月を費やし完成しました。近年では昭和34年にも決壊し、当時の金額で262万円で大修復しています。
水土里探訪ウォーク
古洞池に鴨が飛来するようになったのは今から150年位前といわれています。明治27年より三熊集落の人びとが共同で鴨をとり始めました。鴨は昭和3年の堤防決壊、昭和34年のゴルフ場造成による建設機械の音で少なくなりました。それでも昭和36年には2万羽が飛来し約2,000羽が捕獲されていました。
鴨のとり方は、峰と峰の間の空中に谷仕切網を高く張って、鴨群の飛来を待ちます。鴨は50〜70羽が一団となり、網を張った谷に向かって飛び立ちます。鴨が網にかかると、網をゆるめて下し、鴨をとらえます。また網を素早く上げて、次の鴨の飛来を待ちます。その間は息付く間もありませんでした。
古洞池は、地区にとっては大切な水源地であり冬場の生活の糧でもありました。古来より呉羽射水丘陵はため池と渓流に依存していたため、常に用水不足をきたしていました。昭和45年に新たにこの丘陵地一帯の用水源を確保するため古洞池を大型ダムとして、水利施設を整備し、農業用水の抜本的な改良が必要となりました。呉羽射水地区の丘陵地や水田、畑地帯に用水を供給することにより、収益性の高い野菜栽培と機械化営農を盛んにし、安定した農業経営を目的としています。
畑(開ヶ丘地内)区画整理後
古洞ダム管理棟
呉羽樹園地
灌漑(かんがい)
農作物を育てるために、田んぼや畑に水をひくこと。
堰堤(えんてい)
川や谷を横切って、水をせき止めるための堤防。
ため池(ためいけ)
かんがい目的のため造られた土堰堤の貯水池をいう。
ダム
渓谷、河川などを横断して造られる構造物。
用水の取り入れに必要な水位を確保する目的のダムを取水ダムという。
また、堤高が15m以上のダムを大ダムという。
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