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更新日:2021年2月24日
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小矢部川とその支流である山田川に挟まれた一帯は、山田郷(旧城端町北西部と旧福光町北東部一帯)とよばれ、平安時代より長く荘園となっていたといわれています。その一部は水田として開かれていましたが、山田野の高台地は、水不足から長らく原野として放置されていました。
江戸時代に入り、加賀藩は財政の基礎を農業に求め、五代藩主前田綱紀が山田野の新田開発を思い立ち、小矢部川の上流部から約14kmの用水路の開削を行いました。寛文12年(1672年)に完成したと伝えられ、以降、用水路の維持管理は、加賀藩の手厚い保護の下に置かれていました。しかし、幕末頃から、河床の低下や、水源となる森林の変化などにより、小矢部川は年々減水し用水不足に悩むようになり、堰堤を築造し用水の確保に努め、揚水ポンプによる補給かんがいを行ってきました。
刀利ダム
概念図
こうした取組みにより、山田新田用水路は約350年前の江戸時代から、山田野の田畑を潤してきました。刀利ダムの完成は、農業用水が貯水されることで、ほ場整備事業も飛躍的に進み、近年の営農組合の組織化や中核農家の育成に大きく貢献してきました。そして既存施設を最大限利用した小水力発電は、山田新田用水路に新たな歴史を刻むこととなりました。
土地改良区は、今後も農村の豊かな自然や美しい景観、地域用水として流れの絶えることがない農業用水路等を維持保全、活用し、しっかりと次世代に引き継いでいくことが使命と考えています。
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