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更新日:2021年3月30日
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明治に入り、急激に西洋文化の流入が進むなか、日本画の近代化に心血を注いだ岡倉天心は、明治31(1898)年、36歳の若さで東京美術学校校長を辞し、同志や弟子たちと美術団体「日本美術院」を設立しました。しかし、30年代後半、大きな情熱を傾けた日本美術院の運動が行き詰まったため、39年に天心は、再建を期して第一部(絵画)を茨城県北茨木市の太平洋に臨む景勝地、五浦(いづら)に移転します。そして天心に従った横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の4人は、家族を伴ってこの地に移住し、新日本画運動の回生をはかるべく新しい日本画の創造に邁進しました。
五浦の日本美術院研究所では、4人が一列に並び制作に励み、とくに大観と春草は自分たちの生み出した新描法「朦朧体(もうろうたい)」の改良に努力します。こうして天心の指導のもと、五浦での研鑽によって生まれた作品は、文部省美術展覧会などで高い評価を得て、近代日本画の歴史に残る名作となり、その成果は天心の死の翌年に再興された日本美術院で大きく花開くことになります。
そして、日本画の近代化を推し進めた彼らの精神は、次代の優れた新鋭たちに脈々と受け継がれ、日本美術院は今日まで日本画壇における重要な一翼を担い続けています。
本展では、新しい美の推進者だった4巨匠の代表作や秀作を、前期・後期にわけて一堂に展覧し、日本画の革新に燃えた彼らが近代日本画史に果たした役割を検証するとともに、その軌跡をたどります。
横山大観「陶靖節」大正8年(1919)水野美術館蔵
横山大観「陶靖節」大正8年(1919)水野美術館蔵
下村観山「鵜」大正5年頃(1916)両備しょう(★)園記念財団蔵
★木ヘンに聖
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